2012年4月14日土曜日

桜のシーズンも終わり

もう今週一杯で近郊の桜も旬を過ぎるような・・・
今年観に行った桜は以下の四ヶ所

【富田林市】 石川土手、滝谷不動

【堺市】 大泉緑地公園

【太子町】近つ飛鳥 風土記の丘

特にココ!!っていう名所ではなく、地元の方ぞよく知るローカルな愉しみスポットですね。

この時期、過ぎるのも早いから、桜舞い散る頃が一番切なくなりますね。
ああ、また来年か、来年はどこで花見しようかな、と花より団子な心です。













トラちゃん写真館 【写真で結婚式】、【成人式】、【七五三】、【お宮参り】、【証明写真】のプロフェッショナル
〒589-0005 大阪狭山市東茱萸木1-613-1
OPEN 10:00A.M.  CLOSE 6:00P.M.
TELL 072-367-4883 

2012年4月9日月曜日

一瞬の彩。墨絵のような淡さ、散る時も美しく。

僕は、青々と茂る桜の木が大変に嫌いです。
というのも、桜が葉を付けてからは、どれだけ秀でた自治体が頑張っていただいても、毛虫の発生は抑えられないし、体の1/100にも満たない動きも鈍い小さな虫1匹、僕にとっては大変な脅威であり、大きなトラウマ。
大量発生などの現場に居合わせでもしたら、過呼吸で斃れてしまえる自信があります。



しかし開花シーズンは、持ち前の乏しい感受でも感動と高揚を得られるし、感傷に浸れる点がとても好き。
勤勉さが売りの日本人では珍しく、桜をネタに昼間から酒を飲み、文字通り飲んだ暮れることができる希少な期間、精神的にもそういった安らぎがありますね。



自身、内心はせっかちな人間なので、3月も半ばを過ぎると桜の開花が待ち遠しくなって、
桜を注視しながら歩くようになっています
4月に入ると、次々と行事が重なっていきます入園、入学、入社、新体制、新年度―
新しく慌しい毎日と、満開の桜のビジュアルが並行してイメージされる年間でも稀に見る“ハレ”な時期。
仕事的にも、3月末からは入学や入園の記念写真を撮りに来ていただけるお客様で賑わうので、
おかげさまで忙々と働いていると、早よ咲けという願いなど知らぬ顔で開こうとしない蕾の事など忘れてしまって、いつもの帰宅道で、桜が満開になっていることに気付いて、多忙に時間を回転させていた足を、少し止めて見上げる。そういえばいつも咲く瞬間に居合わせたことがありません。






写真は、地元南河内は石川の土手沿い@富田林市内
桜の名所や見所をネットで検索するのも速くて便利だけど、歩いていける自分の生活圏に、
美しい景色がこの季節だけ出現します。一度歩き回って自分の目で探してみるのも一興です。






ちょうどこの時期に、お釈迦さんが生まれたといわれており、「潅仏会」という仏教行事が行われます。
仏教に詳しくなくても、浄土真宗系の幼稚園や保育園などで幼年時代を過ごされた方なら、「はなまつり」の方が馴染みがあるかもしれない。子供達も甘茶を飲んで、稚児行列など、とても趣き深く、お釈迦さんと、祝福された子供達にスポットライトが当たる可愛らしい和風なイベントです。




桜といえば、多く和歌に詠まれています。


ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ
                                        ―西行
あ、結構ヘヴィな・・・。 桜の下で、春に「死なん」とは。死と対峙している晩年の歌です。
可憐で、美しくも、どこか浮世離れした風情があるのが桜の花ですね。






トラちゃん写真館 【写真で結婚式】、【成人式】、【七五三】、【お宮参り】、【証明写真】のプロフェッショナル

〒589-0005 大阪狭山市東茱萸木1-613-1
OPEN 10:00A.M.  CLOSE 6:00P.M.
TELL 072-367-4883 






2012年4月6日金曜日

人生は短し 芸術は長い

僕は、肖像写真家館で今日明日のご飯をいただいている写真家です。

この仕事は、人の人生を記録する「まなざし」だと思う。
偉そうに聞こえるけど、奢るつもりは毛頭無く、重大な仕事に責任持って臨んでいるのだ、
という意識付けを込めて、そう思うようにしている。

記念写真は、人が生まれてから、成長していく節目節目で、必ず撮られていくものだ。
最初は1枚からはじまって、人の歩みと同じ歩数で増えていく。
最初は本人に向けられた眼差しも、彼らが成長して、新しい家族を作って、
新しい命が産まれると、今度は新しい彼らを記録していく。
そして、最初に向けられた眼差しは、人生が円熟した時に、大団円を体現した彼らの肖像1枚によって総括される。その1枚は、彼らの血を分けた新しい人々によって継がれていく。

今やオンラインで一度に多数の人々と情報を共有できて、
物理的な質量すら必要としない「画像」ではあるけれど、
それでも、世界唯一の人を撮り、一枚の紙と、一握の金属銀によって焼き起される写真には、
美術館に収蔵されている絵画以上の価値がある。
掌サイズの液晶画面に画像を映して、それで満足って時代ではあるけれど、
この写真は、これからも在り続けるように願う。

その人の人生を超えて記録されるという素晴らしい技、
その技術に携わっているという責任を常に持って働いていきたい。

意識は高く、しかし現実は厳しい。
ひとつに、消費縮小の市況がある。
また一般的にデジカメ普及で個人で写真を撮るようになった。
さらに流通大手然とした写真店が増加し、彼らの体力依存の価格破壊によって、
昔ながらの写真館の価格設定での太刀打ちが効かなくなってきたことに起因する。
それでも、技巧の逸品を提供するは諦めずに、
個人の小さな店だからできるサービスを続けようと思っています。


ブログタイトルは、古代ギリシャの巨人、ヒポクラテスの言葉より拝借。
当人はお医者さんで、
"Ars longa, vita brevis, occasio praeceps, experimentum periculosum, judicium difficile."
    術は長し、生涯は短し、時機は速し、経験は危うし、判断は難し
が全文となる。
僕はラテン語は全く専門外だけど、
"Ars."は本来、「技術」を意味する言葉だったが、
英語"Art."に誤訳されてしまうケースが多いらしい。
日本ではアートというと、時には難解な造形物であったり、
権威付けされた絵画の事を呼ぶけれど、
本来は高い技術、素晴らしい技術を指す言葉というので、
意識付けにもこの誤訳?
の一文を看板にいただくことにした。